2022年10月19日 地下鉄東西線国際センター駅2階 青葉の風テラス
「災害」と「文化」、繋げて一つの「災害文化」にしてしまうと直感的に分かり難い。
この分かり難さを6名のメンバーで語り合い、災害文化を深く読み解こうという企画の2回目が10月19日に開催されました。会場は、地下鉄東西線国際センター駅2階の青葉の風テラス。中心部震災メモリアル拠点と音楽ホールの複合整備予定地である「せんだい青葉山交流広場」を眺めながらの開催となりました。
ディスカッションに先立ち、パネルメンバーには事前に「災害文化」の事例をWebフォームで投稿してもらいました。
つかみにくい「災害文化」を具体な事例からアプローチする試みです。
集まった「災害文化」事例一覧はこちらから
今回のガイド役は、ラジオ3 パーソナリティーの鈴木美範さんです。
自分の中で考えていたものと、みなさんの視点を見比べて、意外なものはなかったですね。「お風呂に水を貯める」「公衆電話」「はだしのゲン」などは忘れていた感じがします。
戦争のこと、洪水のこと、台風のこと、地震のこと。自然災害の経験から、知らず知らずのうちに自分の血肉になっているというと大袈裟ですが、言われてみればそうだったと気付かされるものが多かった。
当たり前に暮らしの中でやってきた習慣が、実は震災の時に役に立ったとか、あの日以降に新たに習慣になったものも有るのではないかと思う。私の事例では、山口県の浄土真宗のお宅で、仏壇にお線香を、立てずに半分に折って立てるんです。火事に遭わないようにと檀家さんの中では伝わっていた。これも防災に役立つ災害文化かなと。それと、震災の際に近隣のお宅から「ガスボンベが余っていませんでしょうか?」と尋ねられまして、私の家には予備の1本しか残っていなかったので、本当に苦しくて。それでもお分けしたところ、翌日に様子見に来てくれた方が1本持ってきてくれて、私の住んでいる地区は仙台市内では最後にガス管工事が終わったのですが、その時点では12本貯まっていました。「情けは人の為ならず」。このような、先人たちの祈りのようなもの。このようなことわざも災害の時に役に立つと思います。
災害に備えるまちづくりや技術、製品などのハードはもちろん、行動様式や言い伝え、文芸作品や演劇、人の言葉など、災害文化はジャンルを超えて存在しているし、人によってとらえ方は違うけれど、どれも間違いではない。別の方に聞けば別の視点が出てくるけど、それでもいいんだという気づきを共有できました。
今回の事例収集を参考に、市民の皆さんに「災害文化」という概念を知っていただくきっかけづくりの方策について話し合いました。
自分だったらパネル展とかやってしまいがちですね。事例を全部並べて、見てもらって。それをきっかけに感想や反応を可視化して「自分だったら」を引き出すリアルな場を作ります。他には教育現場へのアプローチなど。
フィジカルにやった方がイメージ湧くだろう。Webだけだと集まりにくいだろうなと。
経験上こういうものは、集まらないものという大前提で考えていくので、エンタメのような仕掛けが必要かも。
カジュアルさがどこかにないと、面白い流れにはならない。
とはいえ、バランスは取らなくちゃいけない。災害という大きな括り。これを震災にすると大きな被害に遭われた方もいる。そちらに目を向けなくてはいけない。
市民の皆さんに広めるためにというテーマであったら、市、全体でやっても集まらないだろうなと考える。やはり、ひとつの地域でサンプル出しとか。例えばいま、市民センターで昭和時代の写真を集めている。その時に「仙台市全域で集めてます」では絶対に集まらないのだけれど、八幡町界隈、柏木界隈、駅東界隈と地域を限るとちゃんと集まる。その時にサンプルをひとつ付けてあげるとイメージしやすい。災害文化というと雲をつかむようだから、通学路の中で気になるところ、お父さんお母さんから、ここは気をつけた方がいいと言われているところなど。曲がっている道路とか、堀だとか、サンプルが出てくると、昔災害があって過去に手を加えた形跡なども出てくる。地名もそう。地域の情報を集めると、自分事になってきて、家族間での話に繋がったりもする。
ネットを使うのであれば、全国の人に身近な習慣を呼びかけるというのいいのでは。
さらに、3.11メモリアル交流館で付箋を貼っていくような感じで。地下鉄の駅とか、ステンドグラスに貼るとか、学校や市民センター。
事例を考える時に「震災を起点として起こったもの」「震災前からあったもの」「震災によって価値が顕在化したもの」と分類し、考えた。
震災によって価値が顕在化したものとして、日常の延長が自然と防災につながっていく「フェーズフリー」の考え方もそうだと思う。
私は事例をWeb投稿していて、どこから手をつけていいか解らず。災害文化という言葉が分かりにくく「これって災害文化って言えるのかな?」って思いながら書いていました。具体的な事例があったら投稿しやすい。それと、私たちは3.11の記憶があまりにも大きすぎて、それより前が薄れている。宮城県沖地震など。ネットが得意じゃないご高齢の方から情報を引き出すにはヒアリングという名のお茶飲みで突撃するのもアリかなと思う。
サンプル出しは大切だと思う。私も苦労して何を書こうかなと思いながら、ひとつ書いてみると次が出てくる。初めは恰好つけて書いてたのだけど、実は、個人的には我が家の災害文化は筑前煮なんです。震災の時に妻が妊娠していて、ご飯も私が用意していたので震災の時には冷蔵庫に筑前煮があった。妻は電気も止まった時に冷蔵庫にあった冷えた筑前煮を食べたので、これが今でも忘れられないと。我が家では震災とか防災の話というと筑前煮なんです。
サンプルで身近なものを出すのは大切。高尚なものではなく身近なものでいいんだよと。我が家の災害文化で「家にはこういう話があるよね~」のような。
3.11があってヒールを履くのをやめた友人がいます。何かあった時にすぐ子供の手を引いて逃げられるようにヒールをやめたと。あなたの災害文化は何ですかではなく、3.11を契機にして変えたこと、身についたことを聞くことが、災害文化の発見になるかもしれない。
サンプルの提示、地域、ネットとリアル、身近な例、身についていること、災害を機に変化したこと、当たり前にやっていることを聞き出す。
具体な事例を考えたことで、キーワードがいくつも生まれてきました。
次回はせんだい3.11メモリアル交流館の企画展の中で、「災害文化」を考えていきます。
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