災害文化ってなに?

災害文化ってなに?

パネルチームディスカッション①「災害文化を考える」

2022年8月4日

ディスカッションの様子

中心部震災メモリアル拠点の基本理念は「災害文化の創造拠点」。
ただ、災害文化というコトバは聞き慣れないですし、意味が分かり難いという問題があります。そのため、災害文化の意味を掘り下げ、その意義が伝わりやすいように整理するタスクのもと、多方面で活躍する6名の方々が集まり「パネルチーム」を結成しました。
今年度、全5回の予定で、さまざまな角度から災害文化を考えるディスカッションを開催する予定です。

2022年8月4日、メンバー同士の初顔合わせを兼ねて初回のディスカッションが開催されました。
6名のメンバーのほか、ローカルコミュニティサイト、Web広報、FM局などメディアチームも今後の発信に備えバックアップで参加しました。

パネルチーム紹介

伊藤み弥さん

公益財団法人音楽の力による復興センター・東北 コーディネーター
被災地にプロの音楽家を招聘し、演奏会を開く事業を継続している。

稲葉雅子さん

株式会社たびむすび代表取締役
震災直前に会社を立ち上げたため、被災地への案内を数多く経験。
のちに街中観光に軸足を移し、地域の魅力発掘を事業の中心とする。

佐藤正実さん

3.11オモイデアーカイブ、「風の時」編集部代表
仙台を拠点に古地図や写真、絵はがきなどの地域文化資料を活用して古の仙台を知る活動を行う。
震災前の街の写真を囲んでの語り場を開催するほか、まちあるきイベントも実施。

桃生和成さん

一般社団法人Granny Rideto代表
NPOの中間支援から事業を起こし、法人立ち上げへ。
出版やCG作成など多方面に活動。

八巻寿文さん

美術家
照明の仕事で、演劇界に永く関わる。
せんだい演劇工房10-Boxの立ち上げ期に震災に遭う。
せんだい3.11メモリアル交流館の館長を開館時から3年務めた。

渡辺祥子さん

フリーアナウンサー・朗読家
震災から自分でできることを模索し、被災の地で生きる人々の暮らしを発信する活動を続けている。
情報誌「りらく」編集長兼任。

ディスカッションの一部を紹介します。

渡辺祥子さん

文化は幅が広いです。語りや小説などで取り上げられることで、個人の経験を人類の経験や体験に大きく広げることができる。
これが文化の力かなと思う。自分ごととして考えてもらう。音楽の力や絵画の力を借りて、自ら経験していないことを、体験したかのように考えたりできるようにするのが文化の力。震災から時間が経てば経つほど、文化的なアプローチが必要になってくる。


桃生和成さん

震災直後には、起きたことをそのまま伝えるエモーショナルな表現が見受けられたが、時間が経つと、ちょっと引いた視点で事象を伝えることが出来るようになる。
生活文化の視点でも、復興事例としては先行する神戸を見てきたが、10年過ぎてから起こった事柄としては、
復興の言葉が既に現実とズレが生まれていて、生活の中に災害文化をどうやって取り込んでいくかが課題になり、すでに将来を見据えた活動に移ってきている。


佐藤正実さん

災害文化と言っている間は災害文化ではないと思う。
自分達のまちで、当たり前だったものが当たり前でなくなったことに気づく。例えば東日本大震災前の様子を見ることで、再認識をする。
その過程を経て災害文化イコール地域文化となり。自分達の街の魅力に気がつく。隠れていることに気がつくのが地域文化。災害文化と思う。

ディスカッションの様子

稲葉雅子さん

災害と文化は、普段は一緒に使うことのない言葉。日常には使われていない言葉。どうやったら一つの言葉になるのかな?と考えてきました。他地域の事例ですが、墨田区では防災文化という言葉を使っているそうです。一帯は海抜0メートル地域なので、災害が起きた時にどうするか?を小学校で実践しています。例えば風呂敷を活用して水を汲むなどを実践している。防災が日常のサイクルに入っている。これが文化だと気づきました。
防災文化は分かりやすい言葉だと思います。小さい頃から訓練する、備えるなど、昔から伝わってきたことです。災害文化は悪いこと(災害)と良いこと(後にくる自然の恵み)が一緒になっているから、日常に組み込むのが難しい。日常に組み込まれていくこと、痛みを昇華することも文化だと思います。


八巻寿文さん

ベースになるのは技術。暮らしの技術は継承ができる。テクニックとスキル。
生きていくにはちょっとした物でも技術がいる。スキルは個人個人が伸ばしていくもの。ですがテクニックは共有ができる。災害文化の創造拠点では、そんな技術を共有できる施設になればと考える。


伊藤み弥さん

生き延びる術。罹災時に生きる術の他に避難所での暮らしを楽にできる術も災害文化ではないかと考える。テクニカルなことは学ぶ機会を用意したほうがいい。例えば極端だけど3月11日は仙台市の学校を休みにして、炊き出しの練習とか、簡易トイレを使えるように準備する、そういうことを学べる場を用意したほうがいい。


最後に伊藤み弥さんからヒントとなりそうな感想です。


伊藤み弥さん

「生き延びること」と「伝えていくこと」。この二つが災害文化なのかもしれない。


第1回ディスカッションの様子をお伝えしました。
引き続き災害文化への理解を深めていこうと思います。ありがとうございました。


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